


今日は久し振りの晴天・・・。
今日の最高気温
2.8℃、最低
-7.9℃、この冬一番の冷え込みとなりました・・・。
さてこの度、blogをご覧の方々からたくさんの心温まる御弔辞を賜り、本当に感謝しています。
お母様は66歳という若さでこの世を去られましたが、一男二女を育てられそして6人の孫に恵まれ、本当に気さくな心優しいお方でした。 【合掌】
無事に山梨県甲府市へ1泊2日で行って来れました・・・。
13日には女房は早朝4時に起きて、両親の延2日・6食分の御数〔おかず〕を作り、御飯も炊きました。
まるで正月の
お節料理を作っているような大仕事、それから分かるように紙に大きくメモを書いて私の母が分からないなら、父にも出来るようにとの配慮からです・・・!
さて山梨へは午前9:00に出発、磐越自動車道は地吹雪そして路面凍結と云う最悪のコンディション、東北自動車道に入ってからは強風により80kmの速度制限が出るほど、車が風によって揺られる感じがありましたので、しばらくは
4WD走行を行いました・・・。
今回は東京都内の混雑を避ける意味で、『外環』→『関越』→『圏央』→『中央』の順に通ることにしました。
もちろん車のナビでは首都高速を通る設定になっていますので、娘に電話してもっと良い方策を探して貰いました・・・。便利な世の中です、走行中に助手席から女房が携帯電話で話しています・・・。
娘の旦那さんそしてその兄妹の検討結果が先程書いた路順となりました。
それでは何処のJCから入れば良いのかは、最寄りのサービスエリアの地図を調べました・・・!
ここまでは女房が全部行いました、そうなんです私はひたすら走りに徹した訳です、云われたとおりに走行する・・・。
途中休憩やら食事やらで結局甲府に到着したのは午後の4:00、7時間掛ったことになります。
13日は午後6:00から『
通夜』に出席しました。所柄〔私は所風と書きたいのですが、辞書には載っていない〕で、私達は親族席に座ることに、勿論男女別々と云うか、祭壇の向かって左側に男性そして右側が女性と決まっているようです。
約1時間僧侶の読経が流れる中、通夜の弔問客は絶えることがありませんでした。
翌日14日は午前7時50分に葬儀会場へ行き、『
御別れの儀式』を親族だけで執り行われました。
火葬をする前の最後の御別れ、綺麗なお花を御遺体に添え、お別れの儀式です・・・。
ここのところが会津地方とは本当に異なるところですね、つまり告別式を終えてから火葬にと云うのが会津では一般的なのですが、甲府はその逆のようです・・・。
そして午後1:00から『
告別式』となります、もちろん御遺体は既にお骨になっています。
今回も私達は親族の座る席に通夜と同じように着席しました・・・。
読経が流れる中での私は頭をやや下げ気味にしていましたが、一般弔問客の方は大凡300人を超えたような感じがしました。
『
初七日の御使い』は午後2:20から、私達も同席することになりました。
喪主であるご主人の御挨拶を聞いたら、失礼しようかなと二人で思っていたのですが、そのような状況ではありません、約160人くらいの方がおられたでしょうか・・・。
「バーバ〔故人〕は淋しいのが嫌いだからね」と云うご姉妹の発案で、孫たちが歌う『
千の風になって』の合唱がとても印象的でした・・・。
無事に初七日の御使いも済ませ、喪主である御主人に御挨拶をして式場を後にしたのは午後5:00を過ぎた頃でした・・・。
帰り道で女房と語ったのは、「この二日間滞りなく参加できて良かったね・・・。」
私もいろんなお葬式に参列させて頂いていますが、このようなとても大きなお葬式ははじめてでした・・・。
帰路はトイレ休憩程度で済ませましたので、午後11:10頃に無事自宅到着できました・・・!!
これも本当にblogをご覧の方々の温かい心遣いと、本当に感謝しています。
この二日間の走行距離は“
942.2km”でした。私は走りに徹し、女房は車ナビを補う人間ナビでした。
最後に山梨県甲府市の気候は会津と比べればかなり暖かい地域のように感じられました。
〔今日の写真は
「白い恋人達2008~⑥翼を広げて」です。〕

※この写真は本日撮影したものです。
もう中善寺湖はとおに氷ってしまったと思っていたのですが、1月5日のときよりも氷っている部分が少なく、数は減っていましたがまだまだ彼等が居てくれるような気がします・・・!
昨年は1月8日が全面凍結により撮影最後でしたので、今年は地球温暖化の影響大と云うことでしょうかね・・・。