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今日の喜多方は雨の一日・・・!
今日の最高気温9.2℃、最低気温4.1℃、昨日のポカポカ陽気と比べれば10℃近くも気温が下がりました。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
今日、平成24年3月31日付けをもって私は42年間勤務した会社を定年退職、いよいよ“自遊人”として第二の人生をスタートさせる考えです。基本的には女房の実家の農業を手伝ったり、畑で野菜を作ったりたまには女房と一緒に旅に出掛けることもありでしょう。
先ずは4月の第一週に京都・奈良方面へ3泊程度で旅行に出ます。そのためには親父にショートスティに出掛けてもらう訳ですが、ハッキリ申し上げて快い返事を親父からは貰っていませんが、予定通り強行するつもりです。罰は当たらないと思っています。
 そのような訳があって送別会等がありましてblogをお休みしてしまいました。
旅行なんてここ8年間は出掛けていません、明日からは“自遊人”スタートです。

〔今日の写真は「花のある空間」です。〕
花のある空間
※退職のお祝いに職場の皆さんから頂いた花束です。女房が生けてくれたものを二階の吹き抜けから撮影してみました。
そうこのカメラはコンパクトデジカメで光学20倍ズームになっています、FINEPIX F770EXRそうFUJIフィルム製です。
旅行用に購入しました。
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今日の喜多方は雪のち雨そして曇りの一日・・・!
今日の最高気温7.1℃、最低気温-1.5℃、天候が不順でしたね、雷も鳴りましたよ・・・。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
線引きという言葉。日常よく使われているものですが、昨年の東日本大震災と福島第1原発事故以来、県民を混乱させそして悲しませています。原発事故によって設定された避難区域などは無情の境界線と云えます。多くの住民が今も避難を強いられています。広野町に続き、川内村も役場機能を移転先から本来の村庁舎に戻して業務を再開したましが、生活再建に向けた課題は山積しています。

 東電による原発賠償では県内の線引きが問題になっています。このままだと市町村によって賠償の対象外になったり、金額が減ったりするところもありそうです。全県民が放射性物質による健康不安を抱えているのに区別されることに批判が噴出しています。4月からの原発事故避難者を対象にした高速道路の無料化でも会津を対象から外した線引きが波紋を広げています。同地域への避難者からは、仮設住宅から他の地域への通勤や県外に避難した家族らとの行き来に利用できなくなるとの声が上がっています。県民の戸惑いは、線引きの基準があいまいと映るからです。賠償問題や高速道路の無料化にしても県民が置かれている現実を直視することから始める必要があります。

 幾何学では、新たに補助線を引くことで隠れていたものが浮かび、解決の助けとなることもあります。しかし、現実の社会では線を無くしたり、減らすことで人が救われることもあるのではないでしょうか・・・?

〔今日の写真は「3月27日の淡雪part2」です。〕
3月27日の淡雪part2
※この写真は女房が撮影してくれました・・・。

今日の喜多方は雪のち曇りの一日・・・!
今日の最高気温8.6℃、最低気温-2.8℃、このような時期にまた雪が降りましたよ・・・。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
代理、代行、次長、副長、補佐、心得・・・どう違って、どちらが「偉い」のか迷いますよね・・・。。官公庁や事業所で人事が相次いでいます。震災や原発事故に対応する新たな役職も目立っています。近年はリーダーやマネジャーといった横文字まで使われ、さらに悩みます。各組織で職務分担や権限の差があるには違いありません。何か分かりやすい基準があれば・・・と愚痴をこぼしたくもなります。

 一方で、肩書に頼りがちな風潮を女性識者が批判しています。「男性は上下で人間関係を見がち。相手の役職や身分が分からないと、会話さえできない」。歴史では、補佐役や「ナンバー2」が主人の地位を脅かした事例は数多いのです。戦国武将の織田信長や上杉謙信はもともと「守護代」家の出です。鎌倉時代以降の地方長官・守護の代官として領国を切り盛りしながら力を蓄え、大名にのし上がりました。江戸時代に京都の治安維持や朝廷監視に当たった幕府の役職は「所司代」でした。

 課長や部長よりも業務に精通し、事を取り仕切っている代理や次長を今でも目にします。政治の世界では、大臣らを隠れみのにして省庁の権限強化を図る官僚がいるとも云われています。肩書だけで相手を判断すると、あとで痛い目に遭いかねないですよね・・・。

〔今日の写真は「3月27日の淡雪」です。〕
3月27日の淡雪
※この写真は本日、女房が撮影してくれましたよ・・・。

今日の喜多方は雪時々曇りの一日・・・!
今日の最高気温4.9℃、最低気温-2.7℃、まだまだ春が遠くに感じられましたよ・・・。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
あの日」から1年余が過ぎました。この間をあらためて振り返ってみますと、それまでの生活に深く関わらなかったありがたくもない言葉がすっかり根を張ったことに気付きました。特に原発事故関連が圧倒的です。例えば、「セシウム」や「ヨウ素」といった放射性物質、「シーベルト」や「ベクレル」などの単位。原発は安全だったはずです、
市民はこれら専門用語を知る必要もなかったのですが、今や日常生活への“迷惑度”を測る目安として無関心ではいられない状況です・・・。被災者は事故当初の「避難所」から「仮設住宅」に移り、不自由な生活を強いられています。県外へ「自主避難」し友人と離れて学ぶ児童、生徒も後を絶たない状況です。こうしたつらさも原発事故前にはなかったことです。

 復興には「除染」が急がれますが、汚染土壌の「中間貯蔵施設」が決まらないと前には進みません。政府は「避難区域」を再編させる方針ですが、帰還まで「仮の町」構想を持つ町もあり、原発周辺自治体の悩みは尽きません・・・。「放射線被ばく」には強い関心が集まり「ホールボディーカウンター」も存在感を増しました。家庭では「線量計」が欠かせません。これらの言葉は言い尽くせないほどの怒りや不安でいっぱいです・・・!

 「原子力規制庁」は言葉だけが先行しています。今後、どの言葉が消え、新たに増えてくるのかを、「希望」が見えるまで私のblogでもしっかりと見届けたいところです・・・!

〔今日の写真は「突然の雪に」です。〕
突然の雪に
※2011年3月27日に撮影した写真ですが、今日の雰囲気にとても似ていますよね・・・!

今日の喜多方は曇りの一日・・・!
今日の最高気温6.0℃、最低気温0.1℃、昨日も書きましたが天候は不安定です、ときおりが降りました・・・。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
中国儒教の経書「大学」に臣下に関するくだりがあり、国の財宝をかすめ取って私腹を肥やす方が君主にとってはまだましだ、と記述されています。比べられた方は、どれだけひどい臣下かということになりますが、国を裕福にさせようとするあまり情け容赦なく税金を取り立てるものの、結局のところは民衆を苦しめて人心を国から離反させてしまう者だそうです。「聚斂(しゅうれん)の臣あらんより寧(むし)ろ盗臣あれ」という格言として今に伝わっています。

 納税者の気持ちがなえては国も何もあったものではないということですが、さて、現代のわが国はどうでしょうか。政府は、社会保障と税の一体改革の柱として消費税を10%まで引き上げようとしています。だが、関連法案の付則にある再増税や景気弾力条項の文言について身内の民主党内でも異論があり、まとまる気配はありません。法案成立を念頭に置いた自民党との大連立構想も飛び出し、事態を複雑化させています。

 世論調査では、反対が多くなり始めました。国家財政が危機的なのは分かっているものの、無駄の削減などが実現していないからでしょうか。税金が増えるのを喜ぶ者はいませんが、納得できる環境が形づくられるのであれば、話は進みもするでしょう。国相手の泥棒より厳しい徴税の方が害は大きい、などといわれる事態にはくれぐれもならないように願いたいものです。

〔今日の写真は「朱鷺草part3」です。〕
朱鷺草part3
※本日撮影した写真です・・・。

今日の喜多方は曇り時々雨の一日・・・!
今日の最高気温7.4℃、最低気温1.9℃、大気が不安定な一日でした・・・。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
桜の開花を待ちわびるのは日本だけではありません。米首都ワシントンDCでは市民の期待に応えるように、ポトマック川沿いの3,700本の桜が例年より早く開花しました。満開の花びらの下で恒例の「全米桜祭り」が幕を開けました。ダレス国際空港から車でしばらく走ると首都。ホワイトハウス南側の広大な公園の一角にある池、タイダルベイスン周辺に桜並木があり、お堅い官庁街を柔らかに彩ります。

 今年は東京市(当時)が桜の苗木を贈って100周年の節目です。植樹までを駆け足でたどりますと、日本への旅で桜に魅せられたエライザ・シドモア夫人が、当時のタフト大統領のヘレン夫人に働き掛けました・・・。日本に住んだことのあるヘレン夫人も賛同、要望を受けた尾崎行雄東京市長が1912(明治45)年に寄贈しました。実は2年前に最初の苗木が贈られたものの、害虫が発生し焼却されました。このため高名な化学者だった高峰譲吉らが再び財政支援した背景があります。

 植樹はヘレン夫人らがソメイヨシノを2本植えたことで始められました。米政府は3年後、花言葉が「返礼」のハナミズキを日本側に贈りました。そして今年は初のイベントから85年。今月24日から行事が本格化し、4月27日までの期間中に川俣町山木屋地区の山木屋太鼓も演奏されます。ほかに本県の物産展も開かれます。桜が結んだ日米の絆は大震災を契機にさらに深まりました。

〔今日の写真は「福寿草」です。〕
福寿草
※2007年3月21日に撮影した写真です。

今日の喜多方は曇り時々雨の一日・・・!
今日の最高気温9.7℃、最低気温0.7℃、気温は上がってきていますが風は冷たく感じられました・・・。 

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
暑さ寒さも彼岸まで」と先日、blogで書きましたが、その後は、冬に逆戻りしたような寒い日が続いています。「毎年よ彼岸の入に寒いのは」と、正岡子規が詠んだとおりの今年の天気です。子規が母親の言葉をそのまま一句にしたと云われていますが、東北では、この時季に大雪や吹雪に見舞われたりします。荒れることも珍しくはないのです。
春分から4月上旬にかけての気温の上昇率は一年で最も高いそうです。これからは昼が長くなっていきます。草や木も待ちかねたように成長します。日本にはもともとこの時季の天気で一年の農作の豊凶を占う習わしがあったというのもうなずけます。この習慣に中国から伝わった仏教が結びつき、先祖の霊を供養する「彼岸会」という行事が生まれたとされています。

 春分の日も秋分の日と同じように太陽が真西に沈みます。これが仏教の「西方浄土」を連想させたと云われています。きょうは彼岸明けです。通い慣れた道端では、今年もオオイヌノフグリが顔をのぞかせるようになりました。小さな藍色の花弁は、ぶり返した寒さに震えているかのようですが、春は確実にやってきていることも告げています。
大震災で受けた深い傷はまだ癒えません。原発事故で多くの人が古里を追われ、放射性物質への不安も払しょくされません。春が来ても例年のような浮き立つ気分とはほど遠いのです。だが、明日に向けた一歩も重ねていきたいと願っています。

〔今日の写真は「オオイヌノフグリ」です。〕
オオイヌノフグリ
※2007年3月24日に撮影した写真です。

今日の喜多方は曇り時々雨の一日・・・!
今日の最高気温9.5℃、最低気温-5.2℃、日中は横風が強かったように感じました・・・。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
”には建物の意味があり「(まなび)(や)」といえば学問を教えたり習うところです、つまり学校のことになります。ここから木造校舎が思い浮かぶのは、私達のような少し古い世代ということになるでしょうか・・・。江戸時代の学舎といえば各藩の藩校があります。全国で最大規模は水戸藩の弘道館、本県では会津藩の日新館が最も大きかったのです。庶民の子弟は寺子屋や私塾に通いました。本県の寺子屋教育は東北に先駆け開設されましたが、女児の通学数はまだ少なかったようです。近代国家を目指す明治政府は教育改革にも乗り出して「学制」を公布します。しかし、県内では校舎の新築が思うように進まず、公布3年後でも寺院を仮校舎にしていた小学校が多かったようです。民家を借りたり旧陣屋や旧庵室などを充てた地域もあったようです。楽しかったり、苦労した思い出も残る学舎を後にするのが卒業式です。

 公立小は23日に行われます。統合で最後の卒業式になる学校もありますが、今年はさらに特別です・・・。大津波や原発事故で教育環境が大きな影響を受け、他校に間借りしたり避難先で勉強を強いられるなどした小学校も少なくはないのです。それだけに、障害や困難を乗り越えて卒業式を迎えた児童や学校関係者、保護者の方々の感慨はひとしおでしょう。
 
学習の不便さはさらに続くかもしれませんが、震災の記憶を成長の糧にして本県の未来を築く原動力になってもらいたいものです。

〔今日の写真は「ヒマラヤユキノシタ」です。〕
ヒマラヤユキノシタ
※2008年3月22日に撮影した写真です。今年はまだまだ開花しません・・・!

今日の喜多方は曇り時々雪の一日・・・!
今日の最高気温4.0℃、最低気温-3.6℃、晴れていたと思えば突然の吹雪きです・・・。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
世界の「つぶやき」が本県を元気づけました。インターネット上に短文をつづる“ツイッター”には震災発生から、わずか12分後に「日本のために祈る」という英語の書き込みがありました。
<放射能で汚染された野菜も米も肉も、誰かが一生懸命作った物に変わりはありません>。応援メッセージの中には、本県の農家を気遣う文もあります。世界から1日10万件余も寄せられました。皆が被災地に寄り添い、支え合いました。一部が「3.11世界中が祈りはじめた日」に収録されています・・・。

 6年前の3月21日に米国で誕生した“ツイッター”は災害時の連絡手段として注目されました。安否確認や行政などからの情報発信に効果を挙げました。携帯電話などの通信手段が途絶した震災直後や、見知らぬ地への避難の途中に役立てた人も多いはずです。
震災直後に書き込まれた「つぶやき」は心に染みます。被災地はまだまだ思いやりの気持ちを待っていますよ・・・!

〔今日の写真は「朱鷺草part3」です。〕
朱鷺草part3
※本日撮影した写真です・・・。

今日の喜多方は曇りの一日・・・!
今日の最高気温5.7℃、最低気温-4.9℃、彼岸の中日ですがなかなか暖かくなってくれません・・・。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
きょうは昼と夜の長さがほぼ同じになる春分の日です。ふつうは立春から春とされていますが冬が長い東北地方では、春分こそ、季節の変わり目とするにふさわしいのです。「暑さ寒さも彼岸まで」とも云われています。寒暖を繰り返しながら、日差しにも少しずつ力強さが加わってきたようです。陽光に輝く山の稜線の雪模様も日一日と変化を見せ、長かった主役の座を緑の季節に譲ろうとしています。「国民の祝日に関する法律」は、春分の日を「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」と定めています。豊かな自然も躍動の季節を待っています。

 東京電力福島第1原発の事故以来、訪れる観光客は大きく落ち込んでしまいましたが、本県の魅力に変わりはありません。東日本大震災からの復興も東北にとっては待たれる春となるでしょう。地域の願いを託した「東北観光博」が始まりました。
 東北全域を博覧会場に見立てて28の観光圏を設定しました。1年間にわたり、観光客を東北に呼び込むための施策を展開します。県内では県北3市を中心に相馬市を含めた「ふくしま」と「郡山・磐梯熱海」「会津」「いわき」の4地域が設けられました。いずれも歴史や文化、大自然の造形美、こまやかな人情が自慢です。

 県民の“”を多くの人たちに堪能してもらうには私たち一人一人のもてなしも欠かせません。東北各県との連携も生かしながら、観光の復興に結び付けていきたいところです。

〔今日の写真は「朱鷺草part2」です。〕
朱鷺草part2
※本日撮影した写真です・・・。

今日の喜多方は曇り時々雪の一日・・・!
今日の最高気温3.7℃、最低気温-0.9℃、ときおり日が差すこともありましたが、三寒四温の続きでしょうか・・・。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
体の痛みは体内の異常を知らせるサインと云えます。痛みの部位や性質によっては命に関わる病気もあり注意が必要です。腹部の痛みをみると、右下に痛みがあり、押してみて痛みが強くなれば、医療機関でまず疑われるのは“急性虫垂炎”ですよね。この病気もまた、処置が遅れると命に関わることもあり、侮れないものです・・・。

 虫垂炎は一般的に「盲腸」で通じる病気ですが、実際は盲腸と虫垂は異なります。小腸(回腸)の末端部そう大腸につながるところが盲腸、その先端にある細い管状のものが虫垂です・・・。ここの炎症が虫垂炎なのですが、昭和20年代までは医学論文に「盲腸炎」という名称がまだ使用されていたと、外科医で作家でもある大鐘稔彦氏が著書「外科医と『盲腸』」に書きました。虫垂炎が盲腸に波及した事実が誤認されていたせいだと云われています。虫垂炎は高齢者にも起きます。しかし、大阪府高槻市の病院で重症の虫垂炎になった109歳の女性が2月に緊急手術を受け、成功していたというから驚きです・・・。。高齢者への手術はリスクも大きく、時間を短縮して行われたとか云われています・・・!

 麻酔の先駆者である華岡青洲が、乳がんの外科手術に踏み切ってから200年余り、高槻市での例は国内最高齢の外科手術とみられています・・・。体のほかに「心の痛み」もあります。どんな痛みも少しでも和らぐよう、医療やケアがさらに進歩して欲しいと、願っています・・・!

〔今日の写真は「彼岸獅子舞」です。〕
彼岸獅子舞
※2007年3月21日に撮影した、獅子舞です・・・!

今日の喜多方は曇り時々雨の一日・・・!
今日の最高気温6.1℃、最低気温1.3℃、暖かくなると思ったのが裏目でした・・・。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
装こう師”という仕事を初めて知りました。紙、絹などに描かれた美術工芸品を修理する専門家です。奈良県・高松塚古墳で壁画修復に当たっています。開始から5年がたち、古代美女の姿が極彩色でよみがえりつつあります。
奈良時代の古文書にも記される由緒ある職業です。経典を書き写す和紙を染めたり、継ぎはぎ、裁断をしたりしました。貴重な紙を扱うだけに、最新の技能と繊細な神経を求められたに違いありません。現在は国の選定保存技術に指定され、約140人が従事しています。米沢市の重文「上杉家文書」などが朽ちずに残っているのも、彼らの手が入ったおかげです。

 本県の文化財は震災で手痛い被害を受けました。県教委には国、県分合わせて143件の報告がありました。建物や仏像が多く、美術品や壁画は深刻な損傷がないようです。ただ、原発事故で立ち入りが規制される地域は調査が及ばず、状況がよく分かりません。うち捨てられ、傷みの進む絵がないか心配です・・・。
古代史ブームを起こした高松塚の壁画は管理不備からカビに覆われ、台無しになってしまいました。化粧直しをする装こう師は、いわばカリスマ美容師でしょうか。神業を見たい気もしますが、腕を振るう場面が本県でないよう願いたいものです。

〔今日の写真は「彼岸獅子の記念写真」です。〕
彼岸獅子の記念写真
※大の彼岸獅子ファンの私は、記念写真をお願いして2007年3月21日に撮影しました。
装こう師のこうは“さんずい”にと書きますが、このblogでは表現できませんでした。

今日の喜多方は雨の一日・・・!
今日の最高気温3.7℃、最低気温-2.9℃、ちょっと寒めの彼岸の入りです・・・。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
和食の代表格にそばがありますが、意外にも日本古来の伝統食ではありません。中国から朝鮮半島を経由して伝わってきたとの説がもっぱら有力なのです。縄文後期に入ったとの説もあり、各地の遺跡からもソバの種が発見されています。わが国に最も早く伝来した穀物の一つともされているように、かなり古くから国内で見られたことは間違いありません。もっとも、当時は非常時に備えた「救荒作物」として栽培されました。ソバの記述では最古とされる「続日本紀」には、722(養老6)年に元正天皇が日照りによる凶作に備え、ソバなどを植え蓄えるように触れを出したとあります。このころは天変地異が相次いだようです。806(大同元)年に磐梯山が水蒸気爆発、その6年前に富士山が噴火しました。869(貞観11)年には陸奥国で巨大地震が発生、広い範囲が大津波に襲われました。

 そばの話に戻りましょう。今回の大震災でも「備蓄の知恵」が生かされました。江戸後期の天保の大飢饉(ききん)を教訓に、大熊町の当時の民家がソバの実を保存していました。発見された実を発芽させ栽培している山形市の「幻の山形天保そば保存会」などが先日、いわき市にある大熊町の仮設住宅で幻のそばを振る舞いました。
先人の教えのように、震災で後世に伝えるべきことは多いのです。まずは安全なはずの原発がいかに壊れ、何をもたらしたのかでしょうか・・・?

〔今日の写真は「朱鷺草」です。〕
朱鷺草
※自然界での花期は5~7月、我が家の盆栽では本日開花しました。

今日の喜多方は曇りのち晴れの一日・・・!
今日の最高気温8.4℃、最低気温-6.4℃、朝こんなに気温が下がるとは思いませんでした・・・。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
わが国では、山にいる神様が春になると里に降りてきて「田の神」になると言い伝えられてきました。農神(のうがみ)、作神(さくがみ)、作り神と呼ぶところもあるようです。この田の神がやって来るのが今日で、迎えるに当たって16個の団子を供えることから「十六団子」の日とされています・・・。農事が本格化する季節となり、豊作を祈願する節目の行事として東日本に多く残っていると、聞いています・・・。ただ今年の本県では、田の神を招く準備を終えることのできない田んぼが数多くあります。昨年産のコメから一定の範囲の放射性物質を検出した農地では、作付けに条件が付けられたためです。いたしかたない国の方針でした・・・。

 まずは除染をしなければなりませんが、化学物質散布で期待する効果が実現できるのでしょうか。農地の形状はさまざまで、大型農機が入れない所では土を反転して耕す方法はとりづらいのです。収穫後には全袋検査が待っています・・・!

 全体的な管理計画を策定する必要があり容易でない状況は続きます。しかし作付け見送りによる生産意欲の減退や水田の荒廃を避けるべきという考えが条件付きであっても尊重されたことは前向きにとらえるべきだと思います・・・。

 何の不安もなく、おいしいコメを作ろうとしている農家の苦労が報われる秋を迎えたいと思っています。農業に携わってはいないが、今日は田んぼを持ったつもりで胸の内に“十六団子”を供え、田の神を迎えましょうか・・・?

〔今日の写真は「小田付の蔵の姿part2」です。〕
小田付の蔵の姿part2
※ちょっと珍しいアングルで撮影しました、2005年12月30日です・・・!

今日の喜多方は雪のち曇りの一日・・・!
今日の最高気温3.9℃、最低気温-4.6℃、最低気温の上下を感じます、今日も会社へ行くときに傘を差して歩きましたよ・・・!

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
日本人の衣服の歴史は1万数千年以上に及び、その変遷は縄文時代から現代までの七つの時期に区分されると、増田美子学習院女子大国際文化交流学部教授が「日本衣服史」に書いています。縄文から弥生時代までの約1万年に及ぶ第一期の「原始衣服の時期」をみると、衣服の発達はゆっくりで、毛皮から布製へと時間をかけて移っていったようです。第七期は明治から現代までの「洋風化の時期」です。戦後には占領下で洋服中心の生活が進みました。いずれの時期にも大きな影響を与えたのが外来文化です。それらを吸収、改良しながら固有の衣文化が発展してきた訳です・・・。

 “衣服史”には世相が色濃く反映されています。戦争中は軍服や国民服があふれました。終戦直後は生きるために自分の着物を一枚ずつ手放し、コメに替えなければならないほど社会が混乱したことから「タケノコ生活」という言葉も生まれました。
災害の規模が大きくなると「着の身着のままで逃げる」という表現が使われます。

 大震災や原発事故でも、多くの人があわてて逃げました。避難先で待っていたのは、身も心も冷えるような寒さや放射線への底知れぬ恐怖でした。衣服史の観点からすると今は第八期の「国難の時期」ではないでしょうか。次の「復興期」が来るまで、本県では作業服や防護服が欠かせません・・・!

〔今日の写真は「小田付の蔵の姿」です。〕
小田付の蔵の姿
※ちょっと珍しいアングルで撮影しました、2005年12月30日です・・・!

今日の喜多方は曇りのち晴れの一日・・・!
今日の最高気温5.9℃、最低気温-2.8℃、不思議なのですが、今日も出勤時には雪が降りましたがたいしたことはありません・・・。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
東日本大震災、東京電力福島第1原発事故が起きた昨年の3月以降、県内の教育も厳しい環境の中にあります。昨日、卒業式が行われた232校の公立中学校で約19,900人が巣立ちました。原発事故で臨時休業している5校は含まれていません。大震災で校舎などが被害を受けたところでは他の施設を借りて行いました。

 今日は県立高入試Ⅱ期選抜の合格発表です。原発事故でサテライト校を設置している相双地区の高校は拠点校や試験会場となったサテライト校での発表となります。試練が続く若者たちですが、逆に私たちを励ましてもくれていると思います。
福島大、会津大も前期日程の合格者を発表したが、いずれも県内出身者の合格率が高まりました。

 「福島の復興に貢献したい」との古里への熱い思いが伝わります。「福島に生まれて、福島で育って、福島で働いて、福島で結婚して・・・、福島で子どもを育てて、福島で孫を見て、福島でひ孫を見て、福島で最期を過ごす。それが私の夢なのです」。昨年の全国高校総合文化祭でのメッセージを思い出しました・・・!

若者たちが抱く「」は福島の未来につながっています。古里「再生」の担い手たちが安心して暮らせるようにしていくことは、大人たちの務めでもあります。除染をはじめ、放射性物質から健康を守る努力を一層、加速させていかなければなりません・・・!

〔今日の写真は「酒蔵の雪景色」です。〕
酒蔵の雪景色
※2005年12月30日に撮影したものです・・・。

今日の喜多方は雪のち曇りの一日・・・!
今日の最高気温3.0℃、最低気温-1.4℃、不思議なのですが毎朝私の通勤時には雪が降り、日中は晴れ間があって、また仕事帰りには雪が降ります・・・。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
時には怒りのような表情を見せ、大きな災厄をもたらすことがあります。一方、人に多様な恵みを届け癒やしを与えてくれます。自然が持っている大きな力と云えます・・・。人間はうまく自然と付き合おうとしてきましたが、1年前の大地震と大津波は鋭い牙となりました。多くの貴い命を奪っただけでなく原発事故までも引き起こしました。住民の命を守るべき対策の不備を戒めるものでもありました。県民は今も悲しみと苦しみの中にあります。受けた傷は深く、大きいのです。本音を書くなら復興への歩みもはまだまだ心もとないのです。それでも新たな一歩へ心を合わせて踏み出す時が来ていることも確かなのです・・・。鎮魂の日に、佐藤雄平知事が全世界に向けて発信した「ふくしま宣言」も福島再生への誓いです。

 「科学技術の力を過信することなく、自然の持つ力の大きさをもう一度しっかりと心に刻む」と教訓を刻んでいます。宣言のように、原発に頼らない社会づくりを進めていくには、原子力に代わる新たなエネルギーの開発が欠かせません。身の回りにある大小さまざまな力を利用していく「再生可能エネルギー」に古里の将来を託します。自然が秘める多様な表情を忘れないようにすることが“防災の死角”を減らす道でもあるはずです。過信や慢心を戒めながら上手に付き合いたいところです。

 そうすることが古里・福島の未来に向かう私たちの一歩ともなるのではないのでしょうか・・・?

〔今日の写真は「恋人坂からの眺望part2」です。〕
恋人坂からの眺望part2
※いつも同じ様な写真で恐縮です、2005年12月31日に撮影したものです・・・。

今日の喜多方は雪の一日・・・!
今日の最高気温2.9℃、最低気温-4.1℃、今朝起きてみると小さな粒の雪がシンシンと降っていました・・・。これはやばいと思いましたが、流石に春の淡雪のような感じで大した積もりはしませんでした。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
あの日から1年の「3.11」は慰霊と追悼の一日となりました。大地震が起きた午後2時46分には、県内でも多くの人たちが鎮魂の黙祷をささげました。忘れもしません。1年前は寒い日で、福島市では市民の頭上や裂けた家屋に非情にも雪が舞ったと聞こえてきました。後に「安全神話」のすきを突いた原発事故も加わり、北西の風に潜んだ放射性物質が平穏だった生活の歯車を止めました。

 今年の11日は、気温は平年並みでも午後は雪や雨模様・・・。自然のすさまじい猛威を見せた海原は日中、白波が少し立つ程度だったといいます。事故原発に近い警戒区域内の大熊町では、津波による犠牲者の追悼と復興を祈念する式がささやかに実施されました。関係者は白い防護服を着て献花などを行いました。町は建物などが壊れたままで大震災の爪痕を残していましたが、遺族の胸に去来したのは元気だった家族の面影や住みやすかった古里の姿だったように目に映りました。10日付の新聞には、県警の集計による県内で亡くなられたり、行方が分からない方々の氏名が掲載されていました。
幼子や高齢者まで、尊い命が瞬時に奪われたかと思うと胸が痛みます・・・!

 あらためて哀悼の意を表すとともに一日も早く行方不明者の手掛かりが見つかるように祈ります・・・!
多くの犠牲を払い津波や原発事故から学んだ教訓をいかに復興に生かすのか・・・、政治には止まった歯車を動かす英断が問われています。

〔今日の写真は「恋人坂からの眺望」です。〕
恋人坂からの眺望
※2005年12月31日に撮影したものです・・・。

今日の喜多方は曇り時々晴れの一日・・・!
今日の最高気温8.1℃、最低気温-1.5℃、かなり日中は暖かくなりましたよ・・・。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
上のガラス球から下のガラス球に砂が落ち切るのを一単位として時を計る砂時計・・・。8世紀に西洋の僧が考案したという説がありますが、定かではありません。「未来」が音もなく8の字形のくびれを通って「現在」に姿を変え、次第に「過去」となっていきます。時間の流れを視覚で捉えている錯覚に陥ります。逆さまにして1年と1日前に戻したい、という思いにもふと駆られます。
 大地震に大津波は千年に一度とされましたが、その一度が昨年でした。直後の原発事故を含めかつて経験したことのない複合災害に見舞われてから過ぎた1年には、翻弄そして激変の人生が数え切れないほど折り重なりました。「浜街道」といわれる本県の太平洋沿岸では、ほとんど手付かずの所があり、原発の周辺には今でも足を踏み入れることができません。再起、再生を図るにも、個々人の力量ではいかんともしがたい状況が随所に残ります。ただ、被災地でも家を新築する現場が出てきたり、心機一転で新たな仕事を始めた人もいます。再開した店の場所は違っても、客に振りまく笑顔は以前と変わらないのです。
 子どもの成長からは将来への手応えが伝わります。楽しく過ごしたり幸せや充実感に浸っていると、時間というものはいつの間にか流れ去ります。そう実感できるようにとの願いを込めながら、次の1年間を刻んでいく砂時計を反転させて「未来」に向かいましょう・・・!

〔今日の写真は「春への手応え」です。〕
春への手応え
※本日、スイセンの花芽を撮影しました。写真上の方には雪が写っています。

今日の喜多方は雪のち雨のち曇りの一日・・・!
今日の最高気温3.7℃、最低気温0.0℃、朝起きると水分を多く含んだベタ雪で辺り一面が真っ白になっていました・・・。

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東日本大震災から一年・・・「もう」でしょうか、「まだ」でしょうか。時間が止まっている人もいるでしょう。黒い津波が穏やかな生活を奪い、原発事故を引き起こした日から節目を迎えます。被災自治体や行政区、寺社、仮設住宅などで犠牲者を悼む行事が予定されています。

 南相馬市鹿島区北海老地区では、ある寺の檀家の98人が津波で亡くなりました。行方が分からない人、葬儀を済ませていない人もいます。樹高10メートルを超す松林のはるか上から襲った津波が集落をのみ込みました。明日11日は避難者が菩提寺に集まり、葬儀と一周忌の祈りの一日を過ごします。
10日には、阪神大震災の「1.17希望の灯(あかり)」を分けた「3.11南相馬希望の灯り」が市民文化会館前にともります。併せて建てた碑を除幕します。津波で消えた命の生きた証しとし、原発事故で避難した県民が古里に戻る道しるべとする願いを込めます。復興を見守る希望の光でもあります。震災は命や仕事、団欒、街並み、そして思い出までも奪いました。<残してくれたものは優しさ思いやり仲間>の言葉を碑に記します。

 鎮魂の週末、被災地最前線の南相馬市に多くの遺族やボランティア、アーティストが訪れ、思いを共有します。祈りとともに、前を向く決意も心に刻みましょう。

〔今日の写真は「雪の小田付蔵通りpart2」です。〕
雪の小田付蔵通りpart2
※古い写真で恐縮です、この写真も2005年12月23日に撮影しました・・・。

今日の喜多方は雨の一日・・・!
今日の最高気温4.1℃、最低気温0.8℃、いま気が付いたことですがいつの頃からか“最高気温”の温がとれて“最高気”となっていたことをお詫びします・・・。

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ネコと人類の出会いは紀元前1600年にさかのぼります。エジプトではネズミを捕るネコは神とみなされました。日本のネコは奈良時代に中国から経典を持ち帰る際に、ネズミよけとして国内に持ち込まれたと謂われています。平安時代には貴族に愛好され、江戸時代になると、将軍や大名らが大型の洋犬を好んで飼育したのに対し、ネコは武家の奥方などの女性に愛好されました。動物を描いた浮世絵は少なくないが、無類のネコ好きとしても知られた浮世絵師の“歌川国芳”はネコの多様なポーズを描いています。その愛らしさを際立たせた、通称「猫の五十三次」はネコ派にはたまらない作品です・・・。

 事故を起こした東京電力福島第1原発の半径20キロ圏の警戒区域が見直されるのを前に、区域内に残されているネコ、イヌの集中保護が行われています。いずれも避難した住民たちがやむなく置いてきたペットたちです。事故から間もなく1年になります。いずれも飼い主と離れてしまった不安、あるいは冬の寒さと闘ってきたはずです。

 繁殖が活発になる時季を控え、野生化したペットが増える恐れも指摘されています。今も飼い主の愛情を忘れないペットもいるでしょう。ネコは恩返しをする動物ともされていますが“家族の一員”ならどの動物も同じはずです。飼い主との再会や新たな家族との出会いにつなげたいと思います・・・!

〔今日の写真は「雪の小田付蔵通り」です。〕
雪の小田付蔵通り
※古い写真で恐縮です、2005年12月23日に撮影しました・・・。

今日の喜多方は曇りの一日・・・!
今日の最高気7.7℃、最低気温-2.4℃、今日は久し振りに氷点下になりましたよね・・・。
お陰様で家の周りの雪もかなり少なくなりましたよ・・・。

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今日8日は県立高校Ⅱ期選抜の学力検査の日です。生徒の多くが受ける入試であり全日制では約11,300人が挑みます。高校入試は長い歴史を持っています。明治時代の旧制中から始められており、経緯は各校の沿革史に詳しいのです。例えば、1906(明治39)年度には会津中が3.6倍と最も高かったようです。
福島、磐城各中が1.9倍と続き、安積中が1.7倍でした。当時の入学生は12歳から17,18歳までと幅があり、最多は13,14歳。出身地は県内全域に及び、名門中への入学はやはり、狭き門をくぐらなければならなかったようです。大正にも志願者が増え、戦前には受験指導の過熱ぶりに県が禁止通達を出しています・・・。

 戦後の高校教育には進駐軍の意向が反映され、県内でも男女共学などが実施されました。しかし制度が先行したこともあり、やがて廃止に至ります。入試問題は中学での必修全科目。英語は戦後10年近くでようやく選択科目に加えられました・・・。
 こうした高校入試の歩みの中でも今春は特別です。原発事故が受験にも強く影響を及ぼしています。避難により異なった環境で勉強を強いられたせいか、自校以外に移ったサテライト実施校よりも避難先の学校を選ぶ傾向が見られました。教育は国の基本であり、子どもたちは復興を担う宝でです・・・。
学ぶ環境に差があることが教育の正常な姿でないことを、為政者はあらためて肝に銘じるべきだと思います・・・!

〔今日の写真は「水戸の偕楽園の紅梅」です。〕
水戸の偕楽園の紅梅
※2006年3月4日に撮影したものです。今年の梅の開花は遅れていると聞こえてきます・・・!

今日の喜多方は雨のち曇りの一日・・・!
今日の最高気7.3℃、最低気温3.1℃、急に暖かくなってきましたよね、屋根の雪もかなり解けてきましたね・・・。

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人類と昆虫は地球上で最も繁栄した生物と謂われています。だが、両者は異なる方法で地球の環境変動を生き延びてきました。人類の繁栄の要因は脳の発達です。言語という情報を駆使して抽象的思考を発達させました。昆虫は多様な環境に対応して適応を図ることを得意としています。

 環境という“鋳型”に合わせ形態や特性を作り変えてきました。私たち人間は環境に合わせることよりも、環境を変えることに考えが傾きがちです。その結果として、さまざまな災いを招いてしまっています。原発事故にしても人間中心主義が引き起こした、と云えるかもしれません・・・。
昆虫たちは単純な脳しかなくても自然と共に存続していくことができます。人々も環境と折り合いをつけながら持続的に生存していく術(すべ)を見いだす必要があります。そのためには、昆虫に学ぼうとする謙虚さが欠かせないのではないでしょうか。虫たちの「冬ごもり」も厳しい寒さに適応するための知恵の一つなのでしょう。

 未曽有の大災害に見舞われている本県ですが、啓蟄(けいちつ)を迎えて営みも活発化します。季節は、今年も美しい移ろいを見せてくれるに違いありません。生物界の一員でもある私たちは自然という生態系を離れては存続することができません。
せっかく発達させた脳を持っています。身の丈に合った生き方を真剣に考えることもできるはずなのですが・・・?

〔今日の写真は「水戸の偕楽園の白梅」です。〕
水戸の偕楽園の白梅
※2006年3月4日に撮影したものです。今年の梅の開花はどうなのでしょうか・・・?

今日の喜多方は雨のち曇りの一日・・・!
今日の最高気7.8℃、最低気温0.9℃、そうだよね少しずつ春に向かった気温の上昇が感じられますよね・・・。

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金色の卵を持ち、丸々と太ったワカサギがたくさん釣れる時期になりました。裏磐梯の桧原湖や小野川湖、秋元湖は穴釣りシーズン終盤を迎えています・・・。
 
 間もなく湖面の氷が消え、一斉に産卵が始まります。野山が芽吹くころになると、多くの釣り人がイワナやヤマメを狙います。裏磐梯には季節を問わず、豊かな自然を求めて訪れます。漁協は入漁料収入を元に稚魚などを放流しています。自然産卵に加え、魚影の濃い湖沼や川を育んできました。
 
 原発事故から1年が過ぎようとする今も、放射性物質の影響が心配されています。海水魚に比べ淡水魚の体内に入り込みやすいと云われています。解けた雪とともに山々から流れ込みます。湖底の除染は不可能に近いのです。生まれてくるワカサギや放流された渓流魚から検出されるのは避けられないでしよう。また釣り人の足は遠のいてしまいます。
 
 食品に含まれる放射性物質の基準が厳しくなる4月は本県の渓流解禁と重なります。6ヶ月遅れてワカサギ釣りが始まった群馬県の赤城大沼では新基準を踏まえ漁協が釣果を回収しています。水辺の一日に思い焦がれる時期ですが、道具を準備する気分になれません。「元通りの裏磐梯に戻ってほしい」、愛好者も地元も願いは一つです・・・!

〔今日の写真は「雄国山麓アングル変えて・・・!」です。〕
雄国山麓アングルを変えて・・・!
※2008年1月2日に撮影したものです・・・。

今日の喜多方は雨の一日・・・!
今日の最高気6.1℃、最低気温0.0℃、氷点下にならなかったのは2月24日以来のような気がします・・・。

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戦後歌謡史の中で最初のヒット曲となったのが、敗戦の混乱を抜け出す希望にしようと口ずさまれた「リンゴの唄」でした。作詞はサトウハチロー氏、作曲は万城目正氏。映画「そよ風」の中で主演の並木路子さんが歌いました。歌は戦時中に作られたのですが、サトウ氏は「暗い時代だから、明るい歌が欲しかった」と語ったと云われています。万城目氏も明るさを強調するため、並木さんの表情や動作までを指導する熱心さだったと謂われています。彼女は戦争で両親らを亡くしましたが「つらいことはもう忘れなさいと万城目先生は気遣いも見せてくれた」と「証言の昭和史6」に書いています。

 戦後のリンゴは高根の花、数が少なく値段も高かったそうです。ラジオの公開放送でリンゴを客席に投げ入れたら取り合いになったと、やはり彼女の回顧です。日本が豊かになり果物全体においしさが求められると品種改良が進み、本県は全国で有数の果樹生産県になりました。しかし、今冬の県内の果樹は”薄着”です。“セシウム除染”のため高圧洗浄機の水を浴び古い樹皮が落とされたからです。作業員も苦労の連続で、洗浄機の水が凍結したり、しぶきで服が汚れることも・・・。

 モモやリンゴの木もじっと寒さに耐えていますが、つらい気持ちはよく分かります。どうかもう少し辛抱して、春に希望の花を見せてください・・・!

〔今日の写真は「水戸の偕楽園の梅」です。〕
水戸の偕楽園の梅
※2006年3月4日に撮影したものです。

今日の喜多方は晴れのち曇りの一日・・・!
今日の最高気6.0℃、最低気温-6.1℃、気温は低かったのですが今年に入って最高の発電量がありましたよ・・・。

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鬼子母神は子授けや安産、子育ての神様として信仰されています。東京の豊島区の雑司が谷(ぞうしがや)にある法明寺や台東区の入谷(いりや)の真源寺に祭られているのがよく知られています。鬼子母は妻となりたくさんの子を産んだが、元来、性格は邪悪で近隣の幼子を奪っては食べていました。これを知ったお釈迦様が鬼子母の末子を隠しました。そして、悲嘆に暮れる鬼子母に子を失う悲しみを説き戒めました。改心した鬼子母は、お釈迦様に帰依するとともに出産の無事や子どもの健やかな成長の守護神になったと謂われています。天女形の像は左手に一子、右手に魔よけの果物を持っています。
 
 母性をつかさどるその表情は慈愛にあふれています。本県でも鬼子母神にすがってその御利益を期待したいところですが、放射性物質という「悪魔」はかなり手ごわいのです。特に子どもに悪さをする一方で、即効の対抗手段はありません。子を持つ親は、心配な所から遠ざかるしかないのです。「避難先から古里である町や村に帰りましょう」と呼び掛けられても、地域の全てが除染されているわけではない現実に苛まれるのです。子どもの健康に関する懸念を拭い切れなければ、二の足を踏むのは当然だと私は思います。

 鬼子母神の像には、天女形だけでなく仏法の敵を懲らしめる鬼形もあります。この鬼形が、県内各地に降臨して「悪魔」を一掃し、子どもと親が一緒に安心して暮らせる環境を取り戻してくれないでしょうか・・・?

〔今日の写真は「雪の造形」です。〕
雪の造形
※2011年1月15日に撮影した雪による自然の造形です。

今日の喜多方は曇りの一日・・・!
今日の最高気4.4℃、最低気温-0.1℃、スコップ一杯の雪の重みにもそう春は確実に近付いていると感じられました・・・。

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ひな壇の2段目に並ぶ3人官女にも個性があります。真ん中には「年増」、今でいうミセスが座ります。眉をそってお歯黒をし、着物の袂[たもと]は短いのです。左右には若い女性が立ちます。共に内裏びなの世話をする名脇役と云われています。

 下段に5人囃子[ばやし]、随身[ずいしん]、仕丁[しちょう]と続きます。段飾りが広まったのは江戸時代の元禄年間(1688~1704年)です。比較的、歴史は浅いのです。それまでは内裏びなだけを飾るのが一般的でした。少し寂しい気もしますが、子どもの健やかな成長を願う気持ちに変わりはありません。

 相馬市の旧相馬女子高には震災後、沿岸部で拾い集めた品々が保管されています。ひな人形も何体かあるそうです。仕舞いそびれて津波にさらわれたのでしょうか、子どもは無事だったのでしょうか・・・?人形に問い掛けたくなります。持ち主はいまだに現れません。市は10日から写真や卒業アルバム、ランドセルなどと一緒に公開します。
 
 震災で両親を失った孤児は県内で21人います。全員、親族に引き取られました。子どもは1人では生きられません。内裏びなに仕えるのが3人官女なら、子を支えるのは周囲の大人です。今日3日は「ひな祭り」。あらためて親の役割を考える日としましょうか・・・!

〔今日の写真は「関東風雛飾り」です。〕
関東風雛飾り
※2011年3月3日に撮影しました・・・。関東雛と京雛では男雛(お内裏様)と女雛(お雛様)の並ぶ位置は逆です。

今日の喜多方は雪の一日・・・!
今日の最高気1.4℃、最低気温-4.3℃、なかなか暖かい春は遠く感じられますよね・・・。

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いいアイデアを生んでも、実行できなければしょうがありません。イソップ物語の「ネズミの相談」は、そんなことに鐘を鳴らしているようでもあります。屋根裏にネズミが集まり、ネコに襲われない方策を協議しています。近づいてくるのが分かれば逃げることもできるから、ネコの首に鈴を付ければいい、との結論に達したました。「素晴らしい考えだ」と、みんなは大喜びしました・・・。だが「誰が鈴を付けに行くんだ」となり結局、集会はそのまま流れてしまいました・・・。この話から嫌な役目のことを「ネコの首に鈴を付ける」というようになりました。

 ところが、肝心なことを忘れたネズミの浅はかさも浮き出ています。大震災を受けた復旧・復興策は、いかに早く現場で実施するかが重要ですが、どうもそういう格好にはなっていないようです・・・。被災した中小企業の二重ローン回避のための債権買い取りは、本県ではまだ実績がありません。総額2兆円の復興交付金は、地震や津波被害地域を主眼にする財源であることから内陸部では扱いづらいそうです。「申請してください」「でも対象外でした」は、復旧目的の企業支援制度「グループ補助金」でも見られました。ちゃんと予算が確保されているのに、使い勝手が悪くて「画餅」「宝の持ち腐れ」になってしまう政策はこれまでにもありました。霞が関のネズミ君たちも、実行に結びつかない相談を重ねているのでしょうか・・・?

〔今日の写真は「貴重な雪・・・!」です。〕
貴重な雪・・・!
※この写真は2008年3月9日に撮影しました、ちょうど今の我が家の庭に残っている雪の量にとても似ています・・・。

今日の喜多方は曇りの一日・・・!
今日の最高気3.0℃、最低気温-4.0℃、少しずつ春めいているような気がします・・・。

 今日も私のblogを読んでくださっていますか、kenichiです・・・!
昭和29(1954)年のきょう、太平洋上のビキニ環礁に突如巨大なきのこ雲があがりました。米国による水爆実験です。広島型原爆約千個分という破壊力は関係者の想定をはるかに超えてました。
危険水域の外側で操業していた800隻を超す漁船が被ばくしました。静岡県焼津港の第五福竜丸の無線長が半年後に亡くなりました。医師団は死因を「放射能症」と発表しましたが、米国側は「直接の原因ではない」と認められませんでした。日本政府の追及もあいまいなまま終わりました。法的責任は問われず、慰謝料として日本側に支払われたのは7億2千万円でした。国内に強烈な反核運動を引き起こしたのも事実です・・・!
 
 映画「ゴジラ」は同じ年に公開されました。須賀川市出身の“円谷英二”監督が特撮を手掛けました。南洋の核実験でよみがえった怪獣は、人間が産み出した恐怖の象徴として描かれました。東京を襲ったコースは、20年3月10日の東京大空襲でB29爆撃機が侵入したルートだったと云われています。
 
 間もなく大震災から1年を迎えます。原発事故に関する情報公開の遅さや透明性がいまだに問題となり、賠償も進んでいません。対応が水爆実験の際の米国と同じであってはなりません。
無線長は死の直前言葉を残しました、「被害者は私を最後にしてほしい」・・・!



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